教育 勅語の国民道徳協会訳文の何が意訳なのか 1

教育 勅語の国民道徳協会訳文は、明治神宮のWEBサイトにも掲載されていて、教育勅語は、誰でも見ることができるし、教育勅語の訳文として、引用されることも多く、比較的良く目にする訳文だろう。

が、この教育 勅語の訳文で気になる点を順番に書いていこう。

まず、

私は、私達の祖先が、遠大な理想のもとに、道義国家の実現をめざして、日本の国をおはじめになったものと信じます。

と、訳されている。しかし・・だ。教育勅語の原文は

朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ德ヲ樹ツルコト深厚ナリ

で、これを忠実に訳せば、

私が思うに、私の皇室の祖先たちが国を始めたのは遙か遠い昔のことで、その徳は深く厚いものだ。

あたりが、教育 勅語の素直な訳ではないだろうか。
教育勅語の明治天皇の時代は、国の主権者、統治者は国民ではなく、天皇であった。皇室の祖先たちを子孫である明治天皇が、「その徳は深く厚い」ということは、子孫として当然の賛辞ではないだろうか。
おれのじいちゃん、すごいんだぜ。行き過ぎれば、ただのバカでしかないが、さらっと私の先祖は立派な人でした・・と言って何が悪いんだ?何を気にする必要があるんだろう。

昭和20年以降、GHQの占領政策もあり、天皇や皇室に関することは否定的に見るのが文化人の資格のようになっていたのかもしれない。
そういった背景の中で、皇室の家系やその先祖の賛辞は禁句だったのかもしれない。
教育勅語の国民道徳協会訳文を読むと、そういった時代に訳されたかも・・と推測される。

そりゃあまあ、神武天皇あたりは神話、伝承なのかもしれないけど、その民族が、自分の国ができた神話や伝承を語ることは、いけないことか?フィンランディアの神話は悪か?征服神話と否定されるべきものか?

それぞれの民族がもつ国の成立の神話は、それはそれでいいじゃないか。もちろん、それを国家総動員令の正当化、軍国主義の思想的背景の役割を負わせたことは、最大の誤りであることは論を待たない。

西暦の700年くらいからは神話ではなく歴史になって、天皇、皇室が日本の歴史に関与してきたのは事実だし、万世一系とか現人神も言い過ぎだろうが、西暦700年から現在まで続いている王室として認めることは、自然なことだと思うんだよな。

教育勅語の問題は、教育勅語だけの問題に留まらない。歴史観の問題に至るとは思うのだが、そろそろ昭和20年代の時代背景、多くの人が戦争で命を落とした痛ましい事実は事実として、GHQなどの誘導、占領政策から脱却した考え方、感じ方をしていく必要が、教育勅語以外にもあると思う。

だからと言っておれは、街宣カーをヨシとは思わない。あれは、普通にうるさいし、仮にその主張に耳を傾けるべき事柄があっても、あれでは、聞き取れないので議論や会話が成立しない。


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2017年3月の追記
大阪の森の狂人学園のせいでしょうか、なんだかアクセスが増えています。数年ぶりに読み直し、ちょっと追加してみようと思います。 ここまで、お付き合いくださったならお気づきでしょうが、俺は、天皇家、皇室に