2017年3月の追記

大阪の森の狂人学園のせいでしょうか、なんだかアクセスが増えています。数年ぶりに読み直し、ちょっと追加してみようと思います。
書いた時は、一方的に教育勅語は悪の代名詞みたいな論調の意見のほうが多かったので、いやいや必ずしもそうじゃない、その時代において・・・と考えれば立派なものじゃないの、一方的に否定するのは、自分たちの、じじばばが一生懸命生きてきたこと否定することになりかねないよ。と言いたかったのかな。
ここまで、お付き合いくださったならお気づきでしょうが、俺は、天皇家、皇室に対して、割と素朴な好意を持ってます。大阪の森の狂人学園には、ため息と怒りしかありません。お前のような奴が、一番天皇家を卑しめているんだ。

世界には、たくさんの王様、王家、皇帝という絶対権力者がいたわけですが、それに比しても、天皇家はなかなか立派な王家だと誇りに思ってもいいんじゃないかなぁと思います。神武東征、アイヌ民族の絶滅戦など、どこの王家でもある戦争の話はありますが、平安から江戸時代の終わりの1000年間は、武器をとらない王家であったことはかなり特異性があると思ってます。
自分たちの王様に、素朴に好意をもつことは、民族的に自然な感情だと思ってます。
しかし、昭和初期の軍国主義、ファシズムによる過ちは、天皇を道具にし、卑しめ、汚し、今現在もその間違いの影響が、自分たちの歴史や王様に、素朴な好意をもつことさえも間違っているかのような暗い影を落としています。

大阪の森の狂人学園なんて、キチガイそのものでしょう。
教育勅語は、明治初期という特異な時代、平安から江戸時代の終わりの1000年間、武器をとらない王家であった天皇家が、世界の植民地主義に対抗するため、天皇陛下自らが、軍服を身にまとい執務をするという非常事態宣言の時代に生まれたものです。その時代、その範囲においては、教育勅語は名文ですし、立派なものであったと俺は思います。けれど、それを今のこの平成の世で暗唱するなど、狂人の所業です。

間違った民族主義に取りつかれたキチガイのいう「日本人の精神」とやらは、明治から昭和20年まで、わずか100年の特別な時代の心のありようだと思ってます。けして本来の日本人の精神とやらではないでしょう。
その異常な100年こそが日本人の本質と叫ぶ輩は、一番天皇家と日本民族と、そして日本の歴史を侮辱し、卑しめる亡国の徒だというべきでしょう。

勿論、礼節とか道徳とか、昭和20年の終戦の際に、軍国主義と一緒に置き去りにしてしまった大事なこともたくさんあると思います。
何が間違いで、何が大事で取り戻すべきものなのか、ちゃんと考えて分けていくべきでしょうが、まずは教育勅語を本来の書かれた時代の意図を捻じ曲げて意訳するなんてことはやめ、あるいは子供に暗唱を強いるなんて狂ったバカ達は黙って退場してもらうことが先でしょう。

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